こんにちは。
はじめまして。治療家歴30年の石橋たかゆきと申します。
【「もらう」「うける」で、お困りではないですか?】
弊社の調査によれば、
「もらう」、「うける」は、
プロ治療家の約半数に自覚があり
約3割の治療家に悪影響を与えていることがわかっています。
【なぜ、スキルを身につけても結果が出ないのか?】
ところで、「もらう」「うける」は、
患者様・お客様から治療家への一方通行ではありません。
治療家から患者様・お客様に、歪みを移すことが
どれほど大きな問題となるのか、
ご理解できると思います。
2つの意味で、もらう、うける問題を放置することは
経営に重大な影響を与えるのです。
1.治療家の健康を脅かす。
2.患者様の健康を脅かす。
私は、この古くから多くの優れた治療家を
早死・早期引退させてきた問題を
解決するスキルを独自に習得しました。
さらに、どなたでも使えるよう
古神道の言霊を応用して進化させ
2022年から
丹田スイッチ・メソッド習得塾を開講しています。
さて、今回は、私がどうして治療家になったのか?
そして、丹田スイッチ・メソッドがどのようにできたのか
開発秘話をお伝えしたいと思います。
私の両祖父がそれぞれ33歳と40代で
早死にしていたことに気づいたのは
私が6歳のときです。
父親が38歳で糖尿病と診断されたことが
きっかけでした。
そのとき、祖母が父に話しているのを聞いたのです。
「肩凝るか?そうか、お前の父親も亡くなる2週間くらい前に
肩が凝った、凝ったって言ってたものな。」
あとから母に確認したのです。
父方の祖父は、33歳で心臓発作で亡くなっていました。
そして、母は続けて、
「私の父も私が4歳のとき、
40代で急死している」と話したのでした。
「・・おじいちゃんいるじゃない?」
「今の父は、母の3人目の旦那さんなの。
二人目の父が、優しい良い父だったけど、
やっぱり早くに肺病で亡くなったの。」
えっ!? 男は、早死にするっていうこと?
そのとき、私は強く、そう思ってしまい、
病気と死に強い恐れを感じたのです。
これが私が治療家になる最大の動機でした。
私自身は、
幼児の頃から風邪を引くと微熱が続き、長引きました。
そして、同時に必ず腹痛になっていました。
心配したのでしょう。
母親は、良いと評判を聞くと
私を連れてあちこちの小児科に
連れていったものです。
小6のとき、総合病院で様々な検査を受け、
自律神経失調症と診断されます。
なんだか酷い病気にかかっているようだ、
子供心に落ち込みました。
小さなころから、丈夫にするための
サプリを色々と摂らされました。
小1から慢性的な肩こりも加わりました。
小学生のころから、
自分で雑誌や本を購入して、
ツボ押し、導引術、ヨガなどを
毎日、欠かさず試しましたが効果なし。
社会人になり
24歳まで、毎日のように風邪薬、胃薬、湿布のお世話になっていました。
※24歳、あることがきっかけで、全ての薬を止めました。
そして、私が27歳、父が59歳のとき、
父が腎臓ガンで手術をするから帰って来いと
母から突然、連絡がきます。
手術は無事に成功しましたが、
38歳から糖尿病の治療を続けた挙句に、これかと
西洋医学はダメだと私は、見切りをつけます。
もう、このままでは父も、私も早死にしてしまう
と思い、矢も楯もたまらずに、
31歳のとき、会社を辞めます。
退職金で
(旧)氣圧学院という民間の整体学校に入校します。
合気道の創始者、故・植芝盛平氏から
この世で唯1人、最高段位十段を
認可された故・藤平光一先生が、設立した学校でした。
指圧のように行うのですが、
丹田⇒指から氣を出す手技スキルです。
練習は、学生同士で、施術しあうのですが、
私は、最初から「もらう」「うける」症状に悩まされました。
エネルギーをとられて、
突然、がくんとすることもありました。
それは、たまたまの体調不良…
ではありませんでした。
2年後に卒業してからも、
同じような症状が、続きました。
・疲れが抜けない 、寝ても回復しない
・お客様と似た症状になる
・なんだか、体がおかしい。
先生も、そんな経験はありませんか?
私は、
「健康になるために治療家になったのに、これではダメだ」
と強く感じました。
学校の仲間で、整体院を経営していた先生から
良い先生がいると紹介されました。
当時、家庭療法を普及していた
故・岡林龍之先生です。
先生の方法は、特殊で、悪いところではなく、
体の良いところ、最良点を見つけて
そこに氣を入れる、というものでした。
2人づつ組んで、施術しあいます。
先生が、最良点を見つけて、
私が3分、パートナーに氣を入れました。
すると、なんと開始前に背骨の一か所がぼこっと凹んでいたのに、
3分後に、正常な位置に戻っていたのです。
これは凄い、これしかない、と思いました。
ところが、2回目、3回目と通っても、手技についての講義が
ありません。
しかも、1回目に有った人たちの多くが、10年以上習っているのに
最良点を見つけられていないことにも気づきました。
ここに通っていても、この手技を身に着けられない
と考え、先生が通信で出されていたものを冊子に
まとめたものを数冊、購入して、独自に習得に入りました。
ただ、この冊子には、具体的な手法が書かれていませんでした。
そして書かれている理論と概念が難解で、私には理解できませんでした。
1回目にお会いしたとき、先生が
私に掌を向けて、約1m離れた私に、ここに氣を充ててと言われ
次に、私に掌を出させて、そこに先生が気を充てて、
感じますか?と言われた。
ただ、それだけを手掛かりに
独自に習得することにしたのです。
3年経って、ようやく出来るようになりました。
もう一つ、先生の冊子に書かれていたのが、
もらう、うけるについての話だったのです。
先生は、戦争に将校として参戦され、
2度、機材の不良で飛べずに終戦を迎えた
特攻隊の生き残りでした。
先生は、ほとんどの仲間を特攻で失い
仲間に申し訳ないと思っていたようです。
終戦後に、なんとか世の中の役に立ちたいと
兵隊仲間の治療家と共に、共同開発したのが
私が体験した手技でした。
先生以外の複数の先生は、地元で治療家となって
名を馳せます。
先生だけが、治療家ではなく家庭療法を普及する道を
選んだのです。
ところが、仲間の先生たちが、次々と命を落とされ
ついに全員、亡くなってしまったのです。
昭和20年で20歳前後の人が昭和40年代までに
全員、亡くなったのですから、早死にです。
先生は、亡くなられた原因調査を開始して
もらう、うけるが原因だと結論づけたのです。
そうして、今度は、防御法を研究します。
そこで、出会ったのが、なんと藤平光一氏が
普及していた心身統一法※だったのです。
※中村天風先生が創始した方法。
えっ、藤平先生の心身統一なら
最初から、ずっとやっているけれど、
どうして、これで守れるんだ????
しかし、冊子には、経緯しか書かれてありません。
具体的な方法が書かれていないのです。
藤平先生は、その頃は、第一線を引かれ
代がわりしていて、直接、質問することができません。
不思議なのは、学校で習った理論は
岡林先生の理論と全く違うことです。
どちらが効果的かは
検証すれば、立ちどころにわかるハズなのに、です。
明らかに、雲泥の差で岡林理論が
正しいと私は一度の体験で確信していました。
それとなく合気道の先輩たちに探りを入れてわかりました。
どうやら、藤平先生は、途中まで岡林先生と懇意にしていた
ものの、理論の違いからでしょうか、付き合いをやめ
関わってはいけないと弟子に厳命したというのです。
真偽のほどは、確かめようもありません。
誰にも聞けずに
自分一人で習得するしか手がありませんでした。
3年かけて、
一つは、岡林理論のスキルを
もう一つは、もらう、うけるから守るスキルの
2つを習得しました。
が、その時には、岡林先生も亡くなられていたので
正しいかどうかの確認は、岡林先生を紹介してくれ
6年間、岡林先生から学ばれた仲間にしてもらいました。
それから数年して、北海道の釧路に帰郷して
治療院を開院しました。
困ったのは、近隣の治療家(ドクターも一人いました)が、
もらう、うけるが原因の体調不良で来院され、
口々に、このスキルを教えてほしいと懇願されたことです。
というのも、私は、氣を学び始めてから10年、
岡林先生に出会ってから3年という年数、かかりました。
ポイントは、
氣を出せることと氣を感じること、
たったコレだけではあるのです。
が、それが容易いことではないのは、
それまで、合気道の仲間を見ていてわかっていました。
10年、20年、30年・・やっている人でも
まったく出来ていない人が多いのです。
これでは普及することはできません。
何か良い方法はないか?考えていましたが
見つからないまま、いたずらに月日が過ぎていきました。
2016年に、古神道の教えに出会ったのです。
これが大きな転機になりました。
数年は、意味もわからず、効果もわからず
ただただ祓いと鎮魂を続けました。
そうして2020年のコロナ騒動を迎えたのです。
4月に緊急事態宣言が出され、休院することにしました。
焦りました。
考えに考えて・・思いつきました。
そうだZOOMやLINEのビデオ通話が
流行りだしている今なら、オンライン施術ができるじゃないか、と。
やろうと決めまでに、マイク等をそろえて
広報して、5月の連休明けスタートしました。
遠隔施術は、すでに2012年12月に始めていました。
末期がんのお客様が入院直前に、一度、来院され、
入院後に、病院に訪問してくれないかとご家族に
お願いされたのです。
さすがに、病院に行って施術するわけには行きません。
遠隔で出来ることは、自分の家族で実証済でしたから
念のため、電話でつないで、行ったのが最初です。
翌年からは、遠方のお客様や(雪で交通が大変になる)
冬季間に遠隔施術を開始しました。
電話もつながずに、同時刻に複数の方を一斉に施術する方法です。
毎日1時間、行うというメニューを加えました。
この遠隔施術を行っていたことで
コロナのときに、すんなりとオンラインでの施術に切り替える
ことができました。
それで、『待てよ、オンラインで講座もできるんじゃないか?』と
思いました。
それまでは、東京、大阪など大都市でやるか
こちらに来てもらうか、しか思いついていませんでした。
あと、実際のスキルは、古神道の教えを応用しました。
つまり祝詞です。
普通に、祝詞を奏上するだけでは、何も起こらないのは
一般的な式典を観ればわかりますよね。
しかし、私には丹田スキルがあります。
古神道と丹田を組み合わせれば、可能ではないか?
コロナのとき、
そう瞬時に思いついたのです。
そこで、実際に可能かどうか
試してみる必要がありました。
ちょうど良いタイミングで、ちょうどよいお客様に
出会いました。
このお客様は、中小企業のNO.2で
立場上、経営者と社員との仲立ちをする役目でした。
社員の愚痴や、私的な問題まで相談に乗っていたので
「もらって」身体が歪んでいたのです。
そこで、彼に、メソッドをその場で説明して
その場でやってもらったところ、
すぐに結果が出たのです。
丹田スイッチ・メソッドが完成した瞬間でした。
ようやくたどり着いたのです。